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古地図からわかる地盤

東日本大震災以来、従来とは違った意味で古地図に対する関心が高まっています。以前、沼や田んぼだったところや、旧河道、埋め立て地は地震対策上注意が必要な土地ですが、開発が進むと元々の地形がわからなくなります。昔の地図を見れば、そうした危険な地域がわかります。また、地名も地盤を知る上で重要なポイントです。土地の評価を高めるために、デベロッパーが低地に「~台」と名づけるという話がありますが、昔の地図を見れば本来の地名を知ることができます。

溜池

水や低地に関係する地名は要注意と言われています。「沼」「窪」「沢」などです。東京の「溜池」という地名は、その名の通り池があった場所です。これは、右の江戸切絵図『外桜田永田町絵図』(国立国会図書館デジタル化資料)や、東京大絵図などの古地図でも確認できます。虎之御門から赤坂御門の間に青色で「溜池」が記されていますが、これはわき水をためた池で、神田上水ができるまでは上水として利用されていました。以前はこの付近に「溜池町」「溜池葵町」「溜池榎坂町」などの地名がありました。現在の住居表示からは溜池の文字はなくなりましたが、「溜池山王」という地下鉄の駅名や、都営バスの「溜池」というバス停に昔の地名が残っています。

もちろん「田」も要注意ですが、中には例外的に安全な地名もあります。東京の「田無」がそうです。地名の由来については諸説ありますが、文字通り、田んぼがなかったためにこのような名前になったという説が有力で、むしろ基本的には安全と考えられます。東京都西東京市の地盤(ジオテック株式会社サイト)を見ると、河川に削られた谷底低地を除けば、田無の大部分は関東ローム層の武蔵野台地上にあることがわかります。

東京の中央区に「築地」という地名があります。今ではこれを単なる地名としか認識していない人がほとんどだと思いますが、築地とはもともと「沼や海などを埋めて築いた土地」(『広辞苑』)という意味なのです。その名の通り、築地は明暦の大火の後で湿地を埋め立てて作られた土地です。築地という地名は全国にありますが、その由来には注意する必要があります。

ただし、現在の地名は、元の地名とは指す地域が異なる場合が珍しくないので要注意です。たとえば、もともと広い地域を指していた地名が、狭い地域に限定された例(中野など)、逆に、狭い地域を指していた地名が拡大された例(新宿など)、あるいは、まったく別の地域を指すようになった例(高田馬場など)もあります。特に都市部では、元の地名が指す地域と、現在の地名の地域が完全に一致する例はむしろ少ないのではないでしょうか。また地名に使われている漢字も、元の字とは違う字をあてていることが少なくないので注意が必要です。「窪」が「久保」になったりするのはその一例です。現在の地名だけでも、地名の元となった地形を意識する手がかりにはなりますが、やはり、古地図を見て確認することが必要です。

さて、こうした古地図で得られる知見を、実際の震度と比較してみましょう。細かい地域別に見た地震の揺れの違いについては、関東大震災ではかなり研究が進んでいます。『関東大震災 大東京圏の揺れを知る』の折り込み地図「1923年関東地震による旧東京市15区の震度分布」を見ると、都心部の震度の違いが一目瞭然です。

これを見ると、溜池のあったあたりは震度6強と、確かに揺れが大きかったことがわかります。また日本橋・京橋近辺は震度5弱ですが、すぐ西側の有楽町・日比谷のあたりは震度6強で、差が大きいのがわかります。この被害の差は、安政大地震の時にも記録されています。これは、徳川家康の江戸入り前は海だった丸の内と、当時から陸地だった日本橋との地質の差によるものです。丸の内の地下には沖積層が厚く堆積しているため、震度が増幅されるのです。江戸時代の古地図ではどちらも陸地になっているので違いは確認できないのですが、国土地理院のデジタル標高地形図で見ると、その標高差が一目でわかります(江戸の道路と地形参照)。

月島

月島は震度5弱から6弱ですが、月島に隣接する佃島は震度5弱にとどまっています。佃島は、隅田川の上流から流れてきた土砂が自然に堆積してできた土地です。一方月島は、江戸時代は干潟で、その後明治になってから、大型船を通航させるために浚渫した土砂を使って埋め立てられた土地です。それぞれの震度の違いは、こうした土地の成り立ちと深い関係があります。参考までにカシミール3Dで見てみると、佃島と月島の標高差が一目瞭然です。右の図で、青色が標高の低い場所、緑色が高い場所ですが、佃島の中でも特に隅田川の上流側の標高が高く、川の流れに運ばれた土砂が堆積した様子がよくわかります。

ある土地の元々の地形を知るには、大規模な人間の手が加えられる以前で、なおかつ近代的な測量結果が反映されている明治期の地図を見るのが一番確実でしょう。地図の探し方については地図の閲覧をご覧下さい。また東京都内の古地図の復刻版については、復刻版古地図をご覧下さい。

※国土地理院発行の数値地図25000(地図画像)「東京南部」、基盤地図情報(数値標高モデル)5mメッシュを使用しました。

参考文献:武村雅之『関東大震災 大東京圏の揺れを知る』鹿島出版会、守屋喜久夫『古地図が教える地震危険地帯』日刊工業新聞社

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最終更新日:2013/1/1
公開日:2012/7/31