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地名に隠された地形

東京の杉並区に「阿佐谷」という街があります。この地名は、桃園川の「浅い谷」であったことに由来するといわれています。桃園川は杉並区・中野区を流れる川ですが、現在はすべて暗渠化されており、地上からは川の姿は見えません。また、渋谷などは街を歩くだけでも明らかに谷であることがわかりますが(渋谷と「春の小川」参照)、同じ「谷」という地名でも、阿佐谷は一見したところでは谷とは思えません。
ところが、地形を微細に観察してみると、阿佐谷には確かに谷があるのです。

国土地理院が刊行しているデジタル標高地形図という地図があります。これは、航空機からのレーザー測量によって得られた標高データに2万5千分の1地形図を重ねた地図で、標高が低い部分から高い部分に向かって青→緑→黄→橙→赤と色が変化します。

桃園川

※国土地理院ホームページ掲載の1:25,000デジタル標高地形図画像データ「東京都区部」を使用しました。

この地図で杉並区・中野区近辺を見ると、武蔵野台地(オレンジ色)を削った桃園川の谷底低地(黄色)がはっきりと見てとれます。また、阿佐ヶ谷駅の北側には谷があるのがわかりますが、阿佐谷の名の起こりになった谷はおそらくこれのことでしょう。

この地図を見ると、桃園川は荻窪駅の北から始まっており、東中野駅の南で神田川と合流しているのがわかります。文献を調べてみると、確かに桃園川の水源の一つは杉並区天沼にあった天沼弁天池だということです。この池は「天沼」という地名の起こりだとも言われています。なお天沼弁天池は既に埋め立てられており、桃園川は今では完全な下水道になっています。

桃園川の流域は土地条件図からも読み取れます。土地条件図「東京西北部」(国土地理院サイト)を見ると、桃園川の谷底低地に盛土がされていることがわかります。盛土のせいで谷は目立たなくなりましたが、わずかな高低は残っています。レーザー測量では、そのかすかな地形も見てとることができるのです。
また、中野区の洪水ハザードマップ(中野区サイト)にも桃園川の名残が記されています。洪水ハザードマップは、大雨の際に洪水になりやすい地域を図示したものです。標高が低い地点は雨水が溜まりやすいため、桃園川の跡がハザードマップ上で洪水危険地帯として示されています。
なお桃園川の暗渠の上は、阿佐ヶ谷駅の東で中央線と交差するあたりから桃園川緑道という歩道になっています。一部の地図では、桃園川緑道を追っていくことで桃園川の流れをたどることができます。

かつては桃園川の流域に桃がたくさん植えられており、川の名前もそこから来ているそうです。江戸東京重ね地図で見てみると、江戸時代には現在の中野駅近くに確かに桃園があったことがわかります。この桃園は、生類憐みの令の犬小屋跡地に徳川吉宗の命で作られたもので、桃園があったあたりは昔は桃園町でしたが、昭和41年に地名変更で中野3丁目となりました。
桃園跡には「桃丘小学校」があったのですが、平成20年3月に他の小学校と統合されて廃校になりました。もっとも中野区には「桃園小学校」というそのものずばりの名前の学校が今もあります。古い地名はバス停や学校の名前に残されていることが多く、この地域に桃園があったことがこうした形で現在に伝えられています。

参考文献:鈴木理生編『図説 江戸・東京の川と水辺の事典』柏書房

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最終更新日:2009/8/10
公開日:2008/12/4