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渋谷と「春の小川」

「春の小川」という唱歌があります。歌詞からはいかにものどかな川を想像しますが、この歌の舞台となったのは東京の川だということを知っている人は少ないかもしれません。
「春の小川」を作詞したのは国文学者の高野辰之です。東京音楽学校教授だった高野は、東京の代々木に住んでいる時に「春の小川」を作詞しましたが、この歌のモデルとなったのは渋谷区を流れる河骨川だと言われています。
河骨川は現在では暗渠になっているため、「春の小川」は今では地下を流れていることになります。当然普通の地図では川の姿を確かめることはできないのですが、こういう時に便利なのがデジタル標高地形図です。デジタル標高地形図は、標高が低い部分から高い部分に向かって青→緑→黄→橙→赤と色を変化させることで、微細な標高の差を表しています。これにより、かつての川の流れをはっきりと捉えることができます。

渋谷川

※国土地理院ホームページ掲載の1:25,000デジタル標高地形図画像データ「東京都区部」を使用しました。

デジタル標高地形図を見ると、渋谷はまさに「谷」の街であることがわかります。渋谷はいろいろな川の流れが合流した地点にありますが、河骨川はその流れの一つです。代々木公園の東を流れるのが隠田川、西を流れるのが宇田川です。この2つの川は渋谷駅付近で合流し、渋谷川となりますが、現在では渋谷駅から上流はいずれの川も全て暗渠になっています。
※隠田川も含めて渋谷川と呼ぶこともあるようです。
宇田川の上流の一つが河骨川です。★印は「春の小川」作詞者の高野辰之の旧居跡ですが、河骨川のすぐ近くであることがわかります。

渋谷川の源流はいくつもあります。アルファベットで示したのは、デジタル標高地形図から読み取れる渋谷川の水源です(渋谷の上流のみ)。A~Gは隠田川、H~Tは宇田川の水源です。わかりにくいところは土地条件図を参考にしましたが、実際にはこれ以上の水源があるかもしれません。なお赤字は鉄道の駅、青字は池の名称です。特にわかりやすい池に着目して渋谷川の水源をたどってみましょう。

まず隠田川から見ていきます。
Aは新宿御苑の玉藻池からの流れ、Bは同じく新宿御苑の上の池・中の池・下の池からの流れです。さらにA・Bの流れには、北側を通る玉川上水からの水が引かれていました。

Dは明治神宮の北池を通る流れで、Cからの流れである代々木川に合流します。F・Gは明治神宮の南池を通る流れです。デジタル標高地形図からは読み取ることができませんが、現在東郷神社境内にある池からの流れもF・Gと合流して隠田川に注いでいました。

一方、宇田川の支流も数多くあります。
河骨川は小田急線代々木八幡駅のあたりで西からの流れと合流します。ここも渋谷と同様、川が合流する谷地で、それにふさわしく「富ヶ谷」という地名がついています。
宇田川の水源の一つのSは渋谷区立鍋島松濤公園内の池です。鍋島松濤公園は紀伊徳川家の下屋敷跡と説明されることが多いようですが、江戸東京重ね地図で見ると、紀伊徳川家の下屋敷と隣接して寄合肝煎(よりあいきもいり)の長谷川久三郎の屋敷があり、池のあたりは紀伊徳川家ではなく長谷川家の屋敷内になっています。
※禄高3000石以上の旗本で番方・役方の役につかない者のことを寄合といい、肝煎はその監督にあたりました。

またTには「神泉」という地名の由来になった湧水がありました。江戸時代、ここの湧水を利用した弘法湯という浴場が開かれ、たくさんの人で繁盛したそうです。

このように渋谷川の源流は数多くありますが、こうした流れが一つに合流するのが渋谷の地です。「春の小川」の集りが渋谷の地形を作ったことになります。

参考文献:菅原健二『川の地図辞典 江戸・東京/23区編』之潮

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最終更新日:2012/6/6
公開日:2009/8/10